久しぶりにちょっと思いのままに書いてみます。
「目標があると頑張れる」というのは本当だと思う。私の青春、そして充実していた高校~大学生活は人がどうとかいうのではなく、自分のなかで確固たる「目標」があった。その目標こそが自転車でNo1になるということだった。自転車に出会うまでは人並みに勉強して普通の子として生活していた。頑張るということは得意な方だったから幼稚園の頃は竹馬、小学校の時は縄跳びなど人一倍練習して出来るようになるという経験は割と積んできた。しかし、本気でのめり込むものや熱中するものはなかったように思う。言ってしまえば、何に対しても冷めているというか興味がないような感じだった。
そんな私が本気でぶつかれるもの、本気でやりたいと思えるものに出会ったのが高校2年生の春だ。たわいもない夕食時の父との会話から気づいたら私は完全に自転車の世界へのめりこんでいた。それからというもの私の頭は自転車でいっぱいで、修学旅行で練習を休むことも気が引けるまでになっていた。このときからコーチとして指導してくれた父とも真っ正面からぶつかり合えるようになった。泣いたり笑ったり、自転車を通して色々な感情を経験し、学校生活とは別に充実した世界を持てていることが嬉しかったように思う。最初のうちは試合で結果が出ないことがほとんどで泣くことが大半だったが、1回でも日々の練習の成果が実って結果がついてくるともっと上を。という気持ちが強くなった。
そんなわけで大学でも自転車を続ける決心をし、早稲田大学自転車部の門をたたいた。今考えるとロード練習をほとんどしていなかった私が男子選手の中で、しかもトップレベルの選手たちと一緒に練習をすることは無謀だったように思う。でもそのときはワクワクしすぎていたし、どんな無茶なことを言われてもきついことを言われてもやめたいと思ったことはなかった。後から「いつかやめるんじゃないかと思ってたけど・・」と言われたぐらいだ。続けられたのはもちろん私に信念があったことも事実だが、いやな顔をせずに面倒を見てくれた先輩や同期たち、女だからと言って手加減せず男子同様に接してくれた先輩の存在が大きいと思っている。
こんな感じで自転車を始めてからは365日常に自転車ばかりの日々だった。「暇」という時間はなく、練習、大学、食事、睡眠で1日のサイクルは回っていたように思う。前置きが長くなったが、「目標」という観点から、ここからは私の父について書いてみたいと思う。
父は数年前、心臓の手術を受けた。これまで確固たる「The父親」という存在だったため、突然の彼の弱った姿は見るに堪えられなかった。後から聞いた話、実際は大変な手術だったようだが、私と母はなぜかお父さんは大丈夫という根拠のない自信があった。後付けにはなるが、それは父親の生きる力を感じていたからかもしれない。私と母の期待通り、父はお医者さんも驚くほどの回復ぶりを見せた。きちんと命とも向き合って、残りの人生を悔いのないように生きようとしている。これまでの人生も多方面に興味を持ち、多趣味で、常に勉強しているような父だったが、今はさらに新たな境地を開拓し、このままでは本当に完璧な人になってしまう..と思ってしまうほでである(笑)。
病院で父のようにすごい回復力を見せる人と、どんどん弱っていく人の差はやはり「生きたい」という本人の気持ちの差であると思う。父はその生きたいという気持ちと○○がしたいという気持ちが強く、何事も計画的に行う彼は、健康な身体づくりのため、やりたいことをやれるようになるために計画を立てて行っている。その一つがワットバイクによる自転車トレーニングだ。心拍数を管理し、コツコツとリハビリを積み重ねたおかげか、今では念願のサイクリングやスキーも可能になっている。
この内容は彼が新たに立ち上げたHPに掲載されている。【https://mamakiraku.com】最近はカウンセリングや整体などの資格も取得しており、目標が絶えない父には脱帽である。
私はというと東京へ出てきてから半年近くが経過し、少しずつ仕事にも慣れてきたが、あの自転車をやっていたころのような「目標」もなく、何に向かっているのが自問自答してしまうときがある。でも一つ言えることは、今は目の前にあるものを誠心誠意取り組むこと、一生懸命やることだと思っている。「目標」というちゃんとしたものでなくても、目の前のことでも「前」を見ている。「前」に進もうとしている。今はこのちょっとずつでも、何か「目標」と言えるものがいつか見つかるのではないかと日々を過ごしている。ただ少しずつ、あの頃、死に物狂いで頑張って勝ち取った勝利を得たときの喜びをもう一度、違うカタチでも良いから味わいたいと思うようになってきたことも事実である。
まだまだ未熟だし、未知だけど、人に恵まれる人生は天性だと有り難く思い、自分の確固たるものを見つけてまた再スタートを切りたい、思いっきり喜べる達成感を得れるように頑張ってみたいと思う今日この頃である。